児童虐待の専門職が 心理学や統計学を語るブログ

心理学や、心理学研究における統計解析の話など

被虐待児ー非行少年の心理アセスメント:架空事例14歳男児

児童虐待の心理アセスメントって簡単じゃないことが多いですが

児童虐待に特化したアセスメント事例集とかってあまり見ない気がします。

 

被虐待児の対応やケアは高い専門性を要するとか言われますが、それはやはり特殊な環境下に育ち、健全な認知が歪められているところが大きく由来しているのかなと思います。

 

児童虐待の世界に生きる心理司さんが、少しでも日々の業務の参考にしてくれればと思って、なんとなくありそうな事例を想像して+海外の事例を参考にして、アセスメントの具体例を記載してみました。

心理検査などない、成育歴だけのアセスメントではありますが、何かの参考になればいいなと思います。

 

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A君14歳

 

成育歴

A君は、幼少期は一般的な家庭環境で育てられた。両親健在で、4つ年下の弟もいて、非常に面倒見のよい兄だった。子供たちから見ても、夫婦関係は良好に思えた。

小学校のころから成績は優秀で野球部にも入り、エースではなかったが下級生ながら3番手投手としてチームを支え、人望も厚かった。

 

小学4年のころ、父が自殺。「妻が俺を追い詰めた」と遺書が発見された。母はすぐ再婚したが再婚相手にDVを受け、精神疾患を発症。父は逮捕され、母と弟との3人での生活が開始されたが、母は精神病棟への入退院を繰り返す。

母は家庭に帰ると、弟との間に差別的な対応を重ね、A君は弟ばかり許され優遇される状況に強い理不尽さを覚えるようになる。面倒を見ていた弟にも、「お前は家族じゃない」と言われる。

自殺した父に似ているA君を、母が否定する発言を繰り返しており、母の愛情を失いたくない弟は母に同調する形で兄を追い詰めるようになった。

A君のみ廊下で食事や就寝、風呂は冷水。そんな兄の姿を見て、弟は内心怯えて過ごしていた。

母は兄弟に差別的対応をし、弟を被差別の恐怖に陥れ母を裏切らないよう弟を支配することで、男性から2度裏切られた恐怖を母自身が回避しようと必死だったのであった。その犠牲になったのが、兄のA君だった。強い心理的虐待の連続だった。

 

A君は家庭内で荒れた。器物損壊、弟への暴力が頻発。母は再度精神疾患を発症し、長期入院を余儀なくされた。「あなたのせいで私は不幸になった」とA君に告げ、兄弟を親族宅へ預けた。

 

親族宅でもA君は落ち着くことはなく、弟を親族宅に残して施設入所となった。「こんな問題児は面倒見れない」と、母の妹からの申し出であった。

退院して弟と2人暮らしを始めた母は、「必ず迎えに行くからね」とA君と約束を交わした。その言葉だけを支えに、A君は生きていくこととなった。小学6年の夏である。

 

それから1年後、A君が中学2年になろうとしていた時、母が自殺。弟は再度親族宅で生活することとなった。

その少し後、A君は施設を追い出された。「こんな子は見れない」。2度目の言葉だった。悩みや些細な会話をもちかけても反応が薄く、全く満たされない日々が続いていた。

なぜ俺がこんな扱いを受けなきゃいけないんだ。話しかけても無視され、問題を起こすと話も聞かず罰として個室への移動を課される。報復として施設で優等生と可愛がられている児童に暴力をふるい続けた。本音を職員に話そうとしたら、「お前の言い訳には興味ない」と切り捨てられ、職員の私物を手あたり次第火をつけて燃やした。手の付けられない問題児童として施設を追い出された。次の施設でも同様の問題を繰り返しており、施設職員から「申し訳ないがもう限界だ」との声が届いた。

 

施設適応がうまくいかない一方で、学校適応は悪くなかった。しかし特定の友人を作れず、告白してきた女児からも距離を置くようになり、嫌われてはいないのに自ら孤立するような形を選択してしまい、最終的に不登校に至った。

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心理職としてA君に関わるとしたら、①暴力等不適応行動の機序を本児と共有し言語化を図る、②満たされなかった部分を今後の人生でどこまで補いながら生きていけるか、ある程度の見通しを共有する、③不登校の機序も整理し、今後の学生・仕事生活での適応度を高める方策を実行していく

こういったところが求められます。そしてそのためには、正確なアセスメントが求められるのです。

彼の親元を離れて以降の不適応行動は、幼少期の適応度の高さとの差を考えると、間違いなく途中から崩れた家庭環境による心理的虐待と、その後の養育者の変更の連続が影響していると言わざるを得ません。

 

整理するとおそらく彼の不適応行動は、両親を失ったことでの居場感の喪失と、愛着対象のはずであった母からの差別的対応による強い自己否定感と自尊感情の傷つき、度重なる彼に対する養育拒否からくる非受容感などが重なり、そういった強い負の感覚が解消されずに不適応行動として行動化したという構図が考えられます。

本当は行動化でなく言語化をベースにした負の感覚等の解消が理想なのですが何故できなかったのでしょうか。それはやはり、度重なる本児に対する大人の養育拒否により、大人に自己を受け入れられるという感覚が崩壊してしまったことが根強いと思われます。

本音とは自己そのものです。自己を拒否否定され続けた人が、本音を大人に伝えることはできません。他者に自己を受け入れられないことで、再度強い自己否定感と強烈な自尊感情の傷付きを受けることを感覚的に予期してしまうことで、言語化による受容を求められなくなってしまっているのです。

つまり根底には、代替親として施設職員に自らを受容してもらえることへの期待と、再び裏切られることへの恐怖心との間に揺らぎがあり、恐怖心が上回り続けた結果、その恐怖心から回避するための行動として激しい施設不適応、不登校へと至っているように思われます。連続した彼の不適応状態は、度重なる見捨てられ経験によるトラウマの影響により表出した反応ではないかと考えられるのです。そして実は何より大きなトラウマは、「必ず迎えに行くからね」と期待を強めてくれた母が自殺してしまったことかもしれません。責任のすべてを不当に押し付けられた上に心理的虐待を受け続け、愛着というものが強くが傷つけられた彼が、これを「裏切り」と感じずにいられたかは分かりません。しかしきっと、「お母さんも辛かったんだろうな」と思える余裕など、彼にはなかったんではないでしょうか。

そして施設は施設職員としての枠を守らなければならず、完全に親役割に徹することは難しかったのでしょう。そういった期待する役割の違いが、彼の非受容感を増強させていた側面もあり、状況改善が困難な状態に陥ってしまったのではないかと思います。

 

 

ここまで話すと、「言うことを聞かないし暴力振るう上に放火までしたとんでもない男」と表面的な判断で感じられがちな彼の行動にも、極めて根深い理由があると感じると思います。

非行とまとめて言われることもある不適応行動に、理由なくされてるものなど1つもありません。

このA君の心理療法としては、彼のこれまで言葉にできなかった強い負の感覚や不適応行動に至った機序などを、ただひたすら言語化させ受け止め整理していくことに他なりません。「俺は悪くなかったのか」と、彼が1%でも芽生えるまで、何度も何度も粘り強く、時に強い負の感情を物理的にぶつけられながらも、共に心に大量の血を浴びる感覚で言語化による整理を繰り返していくのです。もちろん、論理的に筋が通り破綻していない整理を行います。「理屈では確かに俺は悪くないのかもしれない」と納得してもらわなければ、深く傷ついた彼が「自分は悪くなかった」という感覚に至ることはまずありません。時に強く、彼の歪められた認知による思考を論破し、しつこく粘り強く、客観性の高い正確な、かつ彼を傷つけ続けてきた認知を打ち消すことのできるような正しさを備えた認知を受け入れさせていきます。

根深い虐待を受けてきた児童の心理治療は、そういう感覚で行っていきます。そしてそれが、過程として不適応行動の低減にも繋がっていくことは珍しくないです。※言語化による整理がなぜ行動化の低減につながるかは、また別の機会にお話ができればと思います。

 

ここまで問題性が強ければ服薬させれば、と考える方もいらっしゃるかもしれません。ですが、服薬は心理的ケアで一定の到達点まで至り、医学的フォローを追加することが望ましい場合に実施するべきなのです。

なんでって、心理的なケアが行えていないということは、児童の不適応行動に至った原因の根本的な解決には至っていないということです。心理的ケアの後、ないしそれと並行して、服薬等の医療的ケアを進めていくべきなのです。もちろん、心理的ケアをきちっと進めるだけの知識と技術があることが前提です。

 

架空事例なのになんだか書いてて熱くなってしまい反省です。

不適応行動が強いお子さんでも、しっかり向き合って話をしてあげて欲しいなと思います。