児童虐待の専門職が 心理学や統計学を語るブログ

心理学や、心理学研究における統計解析の話など

脱抑制対人関係障害(脱抑制型対人交流障害)という児童虐待の影響

児童虐待と関りの深い、脱抑制対人関係障害(=脱抑制型対人交流障害)。

英語表記はdisinhibited social engagement disorder(DSED)です。

この障害、一時保護所なんかでは“誰にでも愛想がいい”という特徴のために「愛着に問題あるね~」なんて言われがちだったりします。

まだまだ全世界で研究対象とされることの少ないこの障害はどんなものなのでしょうか。

 

DSM-5の診断基準を抜粋すると以下のようになります。

・診断基準A :①見慣れない大人に対してもためらわず交流する②過度に馴れ馴れしい言葉遣い、身体的行動をする(年齢から逸脱するレベルでの)③不慣れな状況において、養育者が見えなくても平気④見慣れない大人についていこうとする

・診断基準B :①安心したり、愛情を持って養育者と関わることがなかった(社会的ネグレクト、または剥奪)②養育者が頻繁に変わる環境だった(例えば、里親による養育の頻繁な交代)③特定の人間と愛着を築きにくい環境にいた(例えば、子どもの数に対して職員の数が足りていない施設等) 

・上記の条件に加えて、少なくとも子どもは9ヶ月以上の年齢で、また注意欠如・多動症の衝動性(AD/HD)によるものではない

 

DSM-5で概念化されるまでは、反応性愛着障害の2タイプのうちの1つ、脱抑制型反応性愛着障害と言われていました。

しかし、この反応性愛着障害とは質的に異なるとして、別の診断名としてカテゴライズされたものになります。現在、先の2つの反応性愛着障害は、反応性アタッチメント障害(RAD)とDSEDとなっています。

 

Stine Lehmann他, 2015, Reactive Attachment Disorder and Disinhibited Social Engagement Disorder in School-Aged Foster Children - A Confirmatory Approach to Dimensional Measures. を参照すると、RAD因子とDSED因子の相関が.60なので2つは近い概念である可能性が感じられますが、DSEDスケールはかなり正規分布である一方RADスケールは明確に歪んでいたことから、質的に異なる概念であることが分かります。

 

ADHDとの鑑別が問題にあるケースがあります。

本障害児では注意集中の困難さや多動は示さない、とあります(「標準精神医学(医学書院)」より)。重篤なネグレクトにより内的な枠が脆弱なため、一見すると多動だったり注意散漫に見えることはあります。

ASDとの鑑別が問題になるケースもあります。こちらは、愛着や内的作業モデルの形成不全のため、共感性に課題がある場合などが考えられています。内的作業モデルは、愛着対象の内在化されたイメージが中心となり、内在化のプロセスにおいて愛着対象の感情や認知も合わせて子供の認知に組み込まれていきます。上述の内在化された愛着対象の感情や認知が、子どもの他者への共感性の基礎になると考えられています。愛着対象が内在化し、その対象像がある程度の自立性を備えることによって、ある事象を自分自身の視点のみでなく、愛着対象の視点で評価することが可能になります。これが他者視点獲得の萌芽です。つまり、

虐待やネグレクトなどにより愛着と内的作業モデル形成不全

⇒共感性の発達に不全を生じた子供が自閉症スペクトラムと誤診を受ける

という流れになります。

「DSED」によるものか、「ネグレクト(虐待)の影響」によるもの(行動様式や枠など)かは、適宜鑑別していく必要はあると思います。いやまぁ、DSEDそれ自体がネグレクトの影響ではあるので、表現が難しいところではありますが…。

ちなみに、ネグレクトが2歳以後の場合に本障害が発言するという報告は今のところないっぽいです。「愛着と愛着障害(北大路書房)」には、遅くとも3歳までに選択的愛着を形成する機会がない状態が続くと、見知らない人への警戒心を発達させるための生物学的に決定されている敏感期(あるいは臨界期)を逃してしまうかもしれません、とあります(要出典)。

 

DSEDが対象となった研究がほっとんどないため、当然治療エビデンスなどの蓄積もありません。養育的治療をやり、学習的に身につけさせていく手段はまぁ良しとして、そもそも安全基地の欠如から適切な内的作業モデル構築ができず、他者への警戒心を育むことができずに定着したDSEDに対して、認知行動的な治療なんかあるんでしょうかね。

ちなみに薬物療法エビデンスもありません。

やはり、業界用語で「育てなおし」という、要は適切な養育環境で適切な関係性や社会的枠組みを学習していくこと以外に、今のところ良さそうな方法はないのかもしれません。

 

 

DSEDがどのように獲得されてしまうんでしょうか。

実はDSEDが、というのは難しいですが、ネグレクトにより愛着が適切に育まれなかったケースを想定してみようと思います。

 

乳児は原始的に恐怖という感情を備えています。動物全般がそうであるのと同じです。

乳児は泣きます。何かしらの不快がある際にとる行動です。泣くということは愛着行動と呼ばれ、愛着対象が抱っこなどによって不快を低減してくれた際に泣きは終息します。そして、最初は人物の弁別ができなかった乳児が、「こいつ良いやつだな」と弁別できるようになります。ボウルビーが用いた用語を使用するなら、愛着対象に対して特殊性が付与された、ということです。

 

脳神経学的な説明もある程度可能です。情動の調節をもとに考えてみたいと思います。

情動調節は、苦痛と快楽への反応として乳児期に始まります。6~12か月の間に前頭前野から扁桃体、海馬への神経路が発達し、馴染んだ人(本来の愛着対象)とそうでない人を区別したり、馴染みのない対象(新奇性)へ恐怖を感じるようになります。その際、乳児がマイルドで短い恐怖のエピソードに対処することを繰り返し成功していけば、自己の調節は強化されていきます。

しかし、虐待等が持続⇒新奇性への恐怖を緩和調節する方法が学習困難⇒新奇性は持続的でどうにもできない存在、と誤認知する流れが形成されてしまいます。ネグレクトの継続は、本来の愛着対象への区別ができず本来の愛着多少への特殊性が付与されないまま、自己の調整も強化されず、新奇性への対処可能性が認められないまま(愛着対象とそうでない対象が未区別のまま)成長することに繋がってしまいます。

 

まとめますと、①不快を感じた際に泣きという愛着行動を用いる、②愛着対象が不快を低減してくれる、③愛着対象に特殊性が付与され、他者を弁別可能になる、という流れで“特定の”対象への愛着が育まれていきます。

この、①が発生した後に②が起こらなければ③に至らず、無差別な他者への愛着行動に繋がるリスクがありますし(DSED)、(話がDSEDから反れますが)①に対して無視(ネグレクト)や攻撃(心理・身体的虐待)が予測されるまでに学習が続いてしまった際には、強化理論的に①そのものが消失し、結果的には養育者に対する一貫した抑制的で、情緒的にひきこもった行動のパターン(RADの診断基準)に繋がるリスクがあることが想定されます。

 

一般化するためにシンプルに書きましたが、DSEDについてのエビデンス自体はほぼほぼ積みあがっていない現状があります。児童相談所の現場の心理さんをはじめとした方々が、研究活動によってエビデンスを積み上げてくださることを期待したいです。